「あの日も、いつもの炭酸泉だった」

─ 何気ない日常が人生の思い出になる場所 ─
何気ない日常が、かけがえのない思い出になる場所
炭酸泉について記事を書くと、多くの場合は健康効果の話になる。
血流が良くなる。体が温まりやすい。疲労回復が期待できる。
もちろん、それらは炭酸泉の大切な価値である。
しかし、25年以上おふろ屋の仕事に携わってきた私には、もう一つの価値があるように思えてならない。
それは、炭酸泉が人の「日常」に寄り添うという価値だ。
今回は、私が出会った二組のお客様の話をしたい。
どちらも炭酸泉で病気が治ったわけではない。
しかし、お二人の姿を通して、私は炭酸泉の本当の価値を教えていただいたような気がしている。
酸素ボンベのご主人と奥様
一人目は、80代のご主人とその奥様である。
ご主人は肺の機能が低下しており、いつも携帯用の酸素吸入器を利用されていた。
若い頃は温泉旅行が好きだったそうだ。
しかし年齢を重ねるにつれて遠出は難しくなった。
それでもお風呂は好きだった。
スーパー銭湯へ行くことも好きだった。
ただ、熱いお湯は体に負担が大きかったようで、最近は長く入浴することができなかったという。
そんなご主人が気に入ってくださったのが炭酸泉だった。
「このぬるさがちょうどいい」
そう言いながら、週に一度、奥様と一緒に来店されていた。
ご主人が入浴している間、奥様はフロント前のソファーで読書をしながら待っておられた。
とても上品なご婦人だった。
スタッフが、
「見回りもしていますから安心してください」
と声をかけると、
「ご迷惑をおかけしますね」
と、いつも穏やかな笑顔で返してくださった。
それは特別な出来事ではない。
ただの週に一度の習慣だった。
しかし、ある日を境に、お二人の姿を見かけなくなった。
数か月後、喪服を着たご家族が来店された。
その中には奥様もおられた。
ご主人は亡くなられたのだという。
その日は四十九日法要の日だった。
親族が集まり、法要を終えた帰り道。
「主人が好きだったので」
そう言って、ご家族は食事だけを利用された。
私はその時、改めて気づかされた。
ご主人は炭酸泉に入りに来ていた。
奥様は待っていただけかもしれない。
しかし、ご家族にとっては、この場所そのものが思い出になっていたのだ。
おふろ屋の仕事は、ただお湯を提供するだけではない。
人の人生の一場面を支えている。
そんなことを考えた出来事だった。
朝風呂と朝食を楽しむ夫婦
もう一組、忘れられない70代のご夫婦。
スタッフの間で「長さん」と呼ばれていたご主人。
もちろん本人には内緒である。
少し大柄で、どこかいかりや長介さんに似ていたからだ。
長さんは奥様と毎朝のように来店されていた。
決まって朝風呂に入り、その後は食堂で朝食を食べる。
炭酸泉が好きな、長さんの方が奥さんより長風呂だ。
それが二人の日課だった。
面白いことに、会話のほとんどは奥様が担当していた。
長さんは黙って聞いている。
時折うなずき、相槌を打つ。
それだけだ。
ところが、その時間が何とも温かかった。
遠くから見ていても、仲の良さが伝わってくる。
ある日、私は長さんに尋ねたことがある。
「何十年も一緒にいて、毎日よく話が続きますね」
すると長さんは少し笑って言った。
「わしが死んだら、あとは頼むで」
冗談めかした言葉だった。
その時の長さんの嬉しそうな顔が今でも忘れられない。
本当に仲の良い夫婦だった。
空いた席に見えるもの
月日は流れた。
やがて長さんも来なくなった。
奥様だけが、以前と同じように来店されるようになった。
朝風呂に入り。
いつもの席で朝食を食べる。
ただ一つ違うのは、向かい側の席が空いていることだった。
不思議なもので、私にはその席に長さんが座っているように見えることがあった。
昔と同じように奥様の話を聞いている。
時々うなずいている。
そんな気がするのだ。
私は心の中で語りかける。
「長さん、奥さんの話し相手はできませんよ。でも、今日もちゃんと奥さんの居場所はありますから」
すると長さんが、
「それでええ」
と言ってくれているような気がした。
もちろん私の勝手な想像だ。
それでも、その光景を見るたびに、おふろ屋という仕事の意味を考えさせられた。
炭酸泉が残すもの
炭酸泉には健康効果がある。
それは事実だ。
だから私はこれからも、血流や温熱効果について発信を続けていく。
しかし、健康効果だけでは語りきれない価値もある。
炭酸泉に浸かる。
夫婦で出かける。
帰りに食事をする。
顔なじみのスタッフと少し話をする。
そんな何気ない一日が積み重なる。
その一日は、当事者にとっては特別ではない。
むしろ当たり前の日常だ。
けれど、その当たり前の日常こそが、後になって人生の大切な思い出になる。
私は二組のご夫婦から、そのことを教えていただいた。
炭酸泉は健康な人のためだけにあるのではない。
若い人のためだけにあるのでもない。
人生のどの段階にいる人にも寄り添うことができる。
そして、その人らしい日常を支えることができる。
もし炭酸泉に価値があるとすれば、それは血流を改善することだけではない。
人と人が同じ時間を過ごす場所をつくること。
何気ない毎日を少しだけ豊かにすること。
そして、その積み重ねが人生の宝物になること。
私は今でも、そう信じている。
60代からのおふろ革命: 湯船につかるだけで人生はうまくまわりだす。

おすすめ関連投稿
▶炭酸泉の健康効果について知る
「炭酸泉はなぜ効く?ppmでわかる炭酸の濃度と体感の違い」
▶高齢になっても楽しめる炭酸泉
「気づかないうちに進んでいた腎臓への負担」
▶炭酸泉が人をつなぐ理由
「好きは仕事になるのか ─温泉を通じて、人と向き合うということ─」
▶近くの炭酸泉を探す
「全国の高濃度人工炭酸泉施設一覧を見る」
▶温浴施設経営者向け
「高濃度人工炭酸泉で集客成功した銭湯の実例を読む」