地震で分かった富山県民の律儀さ

食事のついでに、お風呂へ。前川支配人が「風の森」で育てた地域との信頼

2024年1月1日。能登半島地震の激しい揺れが、富山県小矢部市を襲った。天然温泉「「風の森」」の館内には、正月の夕方を楽しむ270人を超える利用者がいた。その多くは、浴室やサウナの中にいる。

浴槽へ湯を送る配管が破損し、営業の継続は不可能だった。支配人の前川さんは、すぐに全員の避難を決断した。事態をのみ込めず、浴室から出ようとしない人がいると聞くと、自ら浴室へ入り、声を張り上げた。

「スタッフも全員避難させます。皆さんが避難しなければ、それもできません。緊急事態なんです」

火災を防ぐため館内のブレーカーを落とし、地震発生から約15分で全員の退館を確認した。その判断の根底には、前川さん自身が高校受験の朝に経験した、阪神・淡路大震災の記憶があった。

時間をかけて築いた、小矢部との信頼

「風の森」がある小矢部市は、富山県の西端、石川県との県境に位置する。北陸自動車道と能越自動車道が通り、富山、高岡、金沢の各方面から人が訪れる交通の要衝だ。施設は三井アウトレットパーク北陸小矢部に隣接し、地域の日常のお風呂である一方、買い物や観光の途中にも立ち寄りやすい。

市内にはLIXILの大規模な製造拠点があり、ホテルニューオータニの創業者・大谷米太郎を生んだ土地でもある。前川さんは、富山の人を「堅実で律儀」と表現する。ただし、外から来た人が信用を得るまでには時間がかかる。「風の森」も、開業から最初の2年間は地域に浸透できず、集客に苦しんだ。

転機はコロナ禍だった。長く窮屈な生活を強いられた地域の人たちに向け、利用しやすい価格で「生活応援キャンペーン」を実施した。期間限定の取り組みだったが、これを機に「風の森」の認知は一気に高まった。

地震の日、その信頼が思いがけない形で返ってくる。「風の森」では、退館時にリストバンドで精算する。避難する利用者から「まだ支払っていない」と尋ねられた前川さんは、「生活が落ち着き、気持ちに余裕ができたら支払いに来てください」と伝えた。

後日、多くの人が「風の森」に戻ってきた。そして未精算分の支払いを申し出てくださった。遠方から電話をかけてきて、郵送で支払った人もいたという。

こちらから催促したわけではない。が、未精算分は驚くことに99%回収できたのだという。

一度築いた関係を、とことん大切にする。前川さんが語る富山の人の律儀さが、数字ではなく行動として表れた出来事だった。

厨房に立つ支配人

「風の森」を運営する株式会社ツルカメO&Eは、全国で11の温浴施設を展開している。前川さんは「風の森」の支配人であると同時に、全施設の飲食部門を統括するマネージャーでもある。メニューを考え、各店で同じ料理を提供できるようレシピを整えながら、「風の森」では今も厨房に立つ。

飲食との出会いは、約25年前にさかのぼる。大阪・難波の名店「サウナニュージャパン」に入社し、子会社のニュージャパンサポートへ出向。当時、相次いで開業していたスーパー銭湯で、飲食部門を請け負う事業に携わり、その立ち上げと運営を担当した。

その後、神戸の温浴施設で支配人を務めたが、家庭の事情から富山へ移り住んだ。温浴業界を離れ、飲食業でさらに経験を深めていく。

やがて、現在の会社に転職していたニュージャパン時代の先輩から声をかけられ、「風の森」の立ち上げに参加した。

建物は、外から見ただけではスーパー銭湯と分からないほど、落ち着いた造りだ。壁紙一枚、建材一つにまで、オーナーのこだわりが行き届いている。

全面をガラス張りにした明るいサウナ、岩盤浴、そして半露天の広い高濃度炭酸泉。半日をゆっくり過ごせる空間の中で、飲食もまた施設の大切な魅力になっている。料理のおいしい温浴施設として取材を受けるまでになった背景には、前川さんが厨房で積み重ねてきた経験がある。

目指すのは、メニューの「サイゼリヤ化」

前川さんがグランドメニューで重視するのは、「誰が食べてもおいしい」ことだ。

自分がおいしいと感じても、スタッフの支持が少なければ採用しない。反対に、自分の評価が高くなくても、多くの人がおいしいと言えば採用する。季節限定メニューでは料理人としての感性を出すが、定番には個人の好みを持ち込まない。幅広い年代が訪れる温浴施設だからこその考え方だ。

飲食部門のマネージャーとして、前川さんが目指しているのは、メニューの「サイゼリヤ化」だという。調理経験のないアルバイトでも、レシピどおりに作れば同じ味を出せるようにする。

これは、腕の良い料理人が料理を作るよりはるかにハードルは高い。11施設の規模では、セントラルキッチンを持つまでには至らない。

そこで全国で取引できる食材業者を選び、共通の食材や調味料を調達する。時には、オリジナル調味料の開発にも加わってもらう。地域の生鮮品だけを現地で仕入れる。味の安定とスケールメリットを両立させる工夫だ。

もう一つの課題は、風呂と飲食の間にある壁をなくすこと。飲食を料理人や外部業者だけに任せ、支配人が関与しない施設は少なくない。しかし、それでは利用者の声をメニューや販売方法に反映しにくい。

風呂の担当も飲食を売り、飲食の担当も施設全体を見る。前川さんが進めているのは、単なるレシピ開発ではなく、施設全体の意識を変える改革でもある。

36.8度の炭酸泉が教えてくれること

「風の森」を象徴する湯船が、半露天に設けられた広大な高濃度炭酸泉だ。開放感がありながら、雨や雪をしのぐことができる。

設定温度は36.8度を基本としている。利用者から「ぬるい」と思われる可能性があっても、炭酸泉の心地よさを十分に味わってもらうため、この温度を守っている。

前川さんが浴槽を巡回するとき、見ているものがある。利用者が肩まで湯につかっているか、それとも半身浴になっているか。

肩までつかり、静かに目を閉じている姿があれば、心地よい温度に保たれている証し。半身浴が目立てば、少し熱いのかもしれない。温度計の数字だけでなく、人の姿から湯の状態を読み取っている。

「風の森」の炭酸泉は、とてもきめ細かい。それは。炭酸ガスがしっかりと湯に溶け込んでいることを示している。

富山の水質との相性なのか、細かな泡の付き方にも定評があるという。ぬるめの湯にゆっくり身を委ね、上がるころには体が温まり、皮膚が赤みを帯びる。

前川さんは、この炭酸泉を「なくてはならない宝物のような湯船」と話す。

食事を目的に訪れる温浴施設へ

昨今のスーパー銭湯では、風呂だけを利用し、食事は別の店で済ませる人も増えた。人件費や食材費も上昇し、温浴施設の飲食部門を取り巻く環境は厳しい。それでも前川さんには、実現したい風景がある。

「お風呂に入るついでに食事をするのではなく、食事をして、そのついでにお風呂に入る。そんな施設が増えればいい」

料理人だけに頼らなくても、おいしい料理を安定して提供できる仕組みをつくる。その先に、食事をして、湯につかり、休み、また思い思いの時間を過ごす。本来のスーパー銭湯の豊かさを取り戻そうとしている。

信用を得るまでには時間がかかる。けれど、一度結ばれた関係は長く続く。開業時の苦労も、コロナ禍の取り組みも、地震の後に戻ってきた利用者も、前川さんにとっては一本の線でつながっているのだろう。

今日も厨房では、同じ味を出すための工夫が重ねられている。そして半露天では、理想の温度に管理された36.8度の炭酸泉に、人々が静かに肩まで身を沈めている。

全国47都道府県・温浴施設支配人インタビュー

炭酸泉を支えているのは設備だけではなく、そこで働く人たちです。炭酸泉ラボでは全国47都道府県の温浴施設を訪ね、施設を運営する人の思いや地域とのつながりを紹介しています。

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